小野田元陸軍少尉死去。敗残兵の真実は英雄ではなかった!?
フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした後に帰国した元陸軍少尉で「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎さんが16日午後4時29分、心不全のため都内の病院で死去した。91歳だった。自宅は東京都中央区佃。葬儀は家族で行う予定。
親戚によると、体調が優れないため今月6日から入院していた。3月に自衛隊で講演する予定で、楽しみにしていたというが、9日に容体が急変した。
終戦後30年間戦争を継続した英雄
小野田さんは、日本軍の軍人でゲリラ戦のエキスパートでした。1944年にフィリピンルパング島に派遣され終戦後も「任務解除の命令がない」とゲリラ戦を続行します。
1974年3月に帰国するまで29年間、フィリピン在住のアメリカ軍やフィリピン軍や地元警察を相手に「戦争」を継続していたのです。
小野田さんは一人だったわけではなく、同じ軍人の部下が数名いました。しかし、戦う必要のない戦闘によって命を落とし、1972年についに最後の部下、小塚金七陸軍上等兵が射殺されて死亡し、小野田さんは最後の数年間はたった一人の孤独な戦争を続けていました。
約30年続いた戦争行為でアメリカ軍やフィリピン軍、地元警察などの兵士30人を殺傷したといわれています。
「命令解除がなければ帰国しない」
1951年に小野田さんの部下であった赤津一等兵が日本に帰国したことにより、小野田さんたち3人の残留日本兵が存在することが判明し、何度か捜索隊が出されるも発見はできず1959年にはいったん小野田さんは死亡したとされます。
残留日本兵はもういない。そんな認識になっていたところ、1972年になって、グアム島で横井庄一元伍長が発見され、日本兵の生き残りが今も各地に潜伏している事実が明らかになります。また同年にルパング島で警察軍に日本兵が発見され射殺される事件が起こりました。その日本兵が小野田少尉の部下、小塚金七陸軍上等兵であったことにより捜索が再開されます。
それまで捜索隊には気づいていても、罠ではないか?などと考えて自ら身を隠していたという小野田さんも戦友を全員失い孤独の中でついに捜索活動におとずれた日本人と接触し、ついに帰国しました。
小野田さんは帰国する条件として、「直属の上官の命令解除があれば、任務を離れる」と言ったといわれ、実際にかつての上官、谷口義美元陸軍少佐からの任務解除・帰国命令が出され、ついに30年ぶりに日本に帰国しました。
小野田氏は日本の英雄かただの臆病者か?
孤独な戦争から帰還した小野田さんは、帰国直後の会見でこう発言しています。
「(谷口)少佐殿から直接命令を口達されて、はじめて(敗戦を)確認した」
こうしたことから、小野田さんの2年前に救出された日本敗残兵の横井庄一さんが「終戦を知っていたが怖くて穴にもぐっていた」と語っているのに対し、小野田氏はどこまでも勇敢な日本兵の鑑のように伝えられることになったのです。
しかし、実際のところ、小野田さん自身は日本の終戦、その後の繁栄についてかなり詳しく知っていました。捜索隊は、「おそらく現在の情勢を知らずに小野田が戦闘を継続している」と考えて、現地に日本の現状を伝えるための新聞や雑誌を残していきそれを読んでいました。また、早い段階でラジオを入手しており英語も堪能な小野田さんは捜索隊が伝えなくても、かなり正確に現状を把握していた可能性があります。
しかし、小野田さんによるとそれらの繁栄はアメリカ軍に支配された傀儡政権によるもので、満州に亡命政権があると信じていたということです。
このことから、日本のために戦い続けた英雄として称賛される面もあるものの、こんな証言もあるのです。
小野田の手記『わがルバング島の30年戦争』(1974年)のゴーストライターであった作家の津田信は、『幻想の英雄―小野田少尉との三ヵ月』(1977年)において小野田を強く批判している。小野田が島民を30人以上殺害したと証言していたこと、その中には正当化出来ない殺人があったと思われることなどを述べ、小野田は戦争の終結を承知しており残置任務など存在せず、1974年に至るまで密林を出なかったのは「片意地な性格」に加え「島民の復讐」をおそれたことが原因であると主張している(Wikipedia)
津田氏は著書の中でこう語っている。
小野田寛郎はジャングルのなかで、子供じみた妄想の虜になり、頭のなかで勝手な戦争をしていたのである。それがいまの答えではっきりした。以上の話をそのまま書いたら、彼は「命令」を守り抜いた“最後の武人”どころか、気違い扱いにされるだろう。
私は何度もため息をついた。代筆者として、彼の妄想をどうまとめたらいいのか、途方にくれる思いだった。
小野田寛郎氏は2014年1月6日、都内の病院で91歳で死去。死因は肺炎だった。
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